横浜相鉄ビル眼科医院 白内障(はくないしょう)の手術と患者さんの声

白内障の手術には非常に自信を持っております。白内障の手術を受けた患者さんの声はこのページの下方をご覧下さい。

私、院長の大高が「自信がある」と言うのには理由があります。

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●白内障とは?

目はカメラと似た構造になっています。レンズにあたる部分が水晶体(すいしょうたい)、フィルムにあたる部分が網膜(もうまく)です。水晶体が加齢やアトピー性皮膚炎などの全身疾患で白く濁って、視力が低下した状態が白内障です。全身疾患が特にない若い人で発症する方も多くいらっしゃいます。

●手術はいつ受ければいいですか?

白内障は、「患者さんが不便をお感じになると手術で治療」、ということになります。しかし、「不便を感じたときって、いつ?」という質問を多く受けます。

個人的には、「矯正視力、すなわちめがねで最大限に矯正した時の視力が0.5をきるようになってきますと、手術を検討してください」、と話しています。

というのは、現代の手術では水晶体の中身をくだいて吸い取ってきれいにしますので、あまりに進行すると、中身が硬くなって手術がやりにくくなります。手術がやりにくいということは成功率が落ちるということなので、患者さんにとってデメリットになるわけです。といっても、矯正視力が0.1になるまで眼科にも行かずにほっとくようなお気楽な人もごくごく身近にいるので(私の実の母親です! 体験記はこのページの下をご覧下さい)・・・どれだけ進んでいてもあきれたりおこったりしませんから、気軽に受診してください(^^)

●手術のやりかた

水晶体はキャンディーのような構造になっています。すなわち、キャンディー本体(核)が袋(水晶体嚢(のう))につつまれているわけです。

白内障は、核がにごった状態です。

手術は、嚢の上の部分を丸く切り取って、核のみを超音波で砕いて吸引して、水晶体嚢に眼内レンズを入れます。

言うは簡単なのですが、この水晶体嚢は非常に繊細で、すぐ破損してしまいます。嚢が非常に弱いとかいう理由で破損がやむを得ない場合が多々ありますが、そうでない場合は破損しないようにやることが大切です。

●私が自信を持っているポイント

私は前の職場の静岡では、地元の開業医の先生方から多くの患者さんを紹介していただきました。プロから患者さんを紹介していただく、というのは大変光栄なことで、技術が認められている証拠だと思っています。しかし、患者さんの中には開業医さんご自身のご家族や、ドクター自身も含まれますので、プレッシャーは相当なもんです。医者の不養生といいます。ドクターやその家族は往々にして進行した難しい症例です。

また、平成14年1月から平成17年3月まで、和歌山県のクリニックにて、999人の白内障手術をいたしました(クリニックは、院長の引退に付き廃院)。月平均25.61人です。月といっても、1ヶ月に行くのは1日だけです。純粋なプロとして雇われて手術をしているわけで、絶対に失敗が許されない環境で、1日で、難しい症例も含まれる25人から26人ぐらいを手術してきました。

現在でも、横浜相鉄ビル眼科医院以外に、西伊豆眼科クリニック(横浜相鉄ビル眼科医院と同じ医療法人が土日に運営するクリニックです)で、毎月白内障手術をやっています。

西伊豆では、一人暮らしの母に数年ぶりに家族が会いに行ったら寝たきりで、どうも目が見えないような感じなので眼科を受診すると、もう絶望的に進行した白内障で、行きはたんかで運ばれてきたのに、手術が終わったらすたすた歩いて帰る、そんな患者さんもいます。

こういう極限まで進行した患者さんの手術はただでさえ非常に難しい上に、しかも必ず(失礼な言葉ながら)ボケているので(ま、ボケていなければその前に自分で病院に行きますよね)、手術中患者さんがあばれたりしますので、絶望的に困難です。こんな、都会ではありえないような症例の手術もやっています。

そんな中で技術を磨いてきましたし、今も日々磨いていますので、手術の安定性、技術に関しては絶対の自信を持っています。しかし、決して己の腕におぼれることなく、今後も研鑽してまいります。慢心は技術の一番の大敵ですから。


●手術に関しての私たちのこだわり。

最近マスコミなどで、手術時間の短さをうりものにするドクターが見受けられますが、私たちはまったく違うことを重視して手術をやっています。

私は本来、他のドクターのことを書くのは本意ではありませんが、例えば「4分で白内障手術ができる!」ということが宣伝されると、あたかもそれ以上かかるドクターの手術が下手のような印象を与えるもので、実際にそのように理解している患者さんが多く、実際私以外にも真面目にやっている多くの眼科医たちがたいへん迷惑していますし、わたくしのサイトを読んで勉強してくださっている若い眼科医(が結構いると若手の先生から教えていただきました)にも良くないですから、自分の主張をあえて書かせていただきます。

手術は時間の短さをうりものにしてはならない、それを端的に示す1例をご覧ください。

以下のの写真は、「4分で白内障手術ができる!」という先生のところで手術を受けた患者さんの術後です(2007年7月11日手術)。

よく見ると、瞳孔が2時方向に引っ張られて、変形しているのがわかります。

2時方向の角膜と結膜(白目)の境目(矢印の部分)に切開創があるのですが、そこに虹彩(茶色い部分)がはさまって引っ張られているからです。虹彩の模様が2時方向に引っ張られる形で変形していることからもおわかりいただけると思います。

これは、「切開部の構築が雑」で、そして、手術終了直前に必ず行うべきである「切開部の構築の確認、切開創からの水漏れの確認が不十分、ないしは省略されていた」ということがダブルで発生したと思われます。

それゆえ、術後早期に切開創から水が漏れて虹彩がはさまったか、術中にすでにはさまっていたものがそのままになっていたものと思われます。

現代の白内障手術は、切開創を縫わないで閉じるというテクニックを使うので、その分眼内圧で密着するようにうまく切開創を構築すること、そして最後にしっかり確認することが非常に大切なのです。

患者さんは、虹彩がつねられている状態なので、痛みを訴えられていました。しかし、痛いだけなら、その部分の神経が麻痺していつか収まってきますからまだいいのです。

この状態ですと、虹彩が空気に接する可能性があります。虹彩が空気に接している状態が続くと、体内に虹彩に対する抗体ができて、この目のみならず、逆の目の虹彩もその抗体に攻撃されて、炎症が起こって、両眼失明の危険があります(交感性眼炎として知られる、不思議な現象です)。なので、これは眼科的には大トラブルなのです。

胃を切除する開腹手術をしたら、切開部に腸がはさまっていたまま退院した、というのと同じ、というとわかりやすいかもしれません。経験を積んだオペレーターとしてはかなり恥ずかしい、初歩的な、しかし重大なミスです。

その先生の名誉のために言いますと、この症例は視力はちゃんと出ておりました。また、ほとんどの症例で問題なく手術をなさってるのだろうと思います。

ですが、手術は、手術時間の早さを重視すると、経験を積んだ術者をもってしても、時にこのような問題が発生しうるということです。

私たちのこだわりは真逆です。

最近5件連続の自分の手術のビデオを見たところ、普通の症例は、手術時間は平均10分ほどでした。自分はこれで十分すぎるぐらい早いと思っていますので、あえてゆっくりやるよう心掛けています。特に難しい症例ですと、30分とか1時間とかかけてゆっくりやる場合もあります。

手術時間の短縮を最大の目的とせず、最後まで手を抜かない仕事と良い仕上がりを目的とする。そのために、まれにしか発生しないトラブルも常に想定して、かけるべき時間はかける。そして、特に眼内ではあえて優しくゆっくり動くことにより、目へのダメージを最低限にとどめる(速い動きは眼内の水の乱れを発生さすので、眼内組織のダメージにつながる)。これが私たちのプロとしてのこだわりです。

どんな仕事でも、プロの仕事は、結果的に早くなることはあっても、早い事を最大の目的としてはならない。そこが目的になってしまうと、エラーや手抜きが増える、と考えています。

みなさんもご自身の仕事に関してはプロか、元プロです。主婦なら、家事や育児のプロです。プロフェッショナルには、自分たちの言いたいことをわかっていただけると思っています。


●手術のビデオは

https://www.youtube.com/watch?v=8aFo717cJOk

ご覧下さい。現在はもっと小さな切開から手術をやっておりますので術式が少々違いますが、基本部分は同じです。操作をゆっくり丁寧にやわらかくやりつつも、無駄なく早く終わっている感じをわかっていただければ幸いです。

ビデオ撮影用に特別にやった症例ではなく、たまたま撮影した普通の症例をあえて出していますので、少々見づらい部分などがあることをご容赦下さい。

●難症例手術のビデオは

https://www.youtube.com/watch?v=0QpCZ6Kbo9w

をご覧ください。

大高功医師が横浜相鉄ビル眼科医院にて行った、難症例の白内障手術です。公開を前提に撮っていませんので、コマ落ち、見づらい部分などがあることをお許しください。また、プロの方もご覧になることが前提になっていますので、時々専門用語があることをお許しください。 前嚢がガチガチに硬くて(プロの方へ:ASCではなくてACC、anterior capsular cataract と言うべきでしょう)、過熟白内障(mature cat)、過熟なのに中の中がけっこう硬い(NS)、膨化白内障(intumescent cat)、きょろきょろする(キョロ)、という、最も手術が難しいランクに入ると思われる症例です。 通常の白内障はできて当然、このような難しい症例ができてこそ真のプロだと自分では思っていますので、日々精進しています。プロの方、特に白内障手術を修行中の先生には、手術の参考にしていただければ幸いです。

もっと難症例は

https://www.youtube.com/watch?v=e9IC8_4igeo

です。

●手術時の風景は

http://youtu.be/LsqFlKYD51w

です。 自分たちにとってはいつもの光景なのでそんなに面白くないかなぁと思うのですが、手術室でどんなことをやっているかを見る機会は滅多にないと思いますので、興味のある方はご覧ください。



●All About さんに、我々のチームの白内障手術への取り組みをご評価いただき、取材と掲載をしていただきました。

http://allabout.co.jp/health/eye/closeup/CU20070303A/

また、白内障手術他の手術を評価していただき、平成23年3月23日に、TBSさんの「これが世界のスーパードクター」に出していただきました。著作権の関係上、映像は非公開とさせてください。



●当院では、大高医師鄭医師が白内障手術を施行しております。両医師とも、成績は同等で、成功率は極めて高いと自負しております。



●最近ある多焦点眼内レンズ(2重焦点眼内レンズ)について

よくある誤解を修正しておきたいのですが、多焦点眼内レンズは2焦点、すなわち、近くと遠くだけにピントが合うということです。2でも1と比較すると、多、には違いないのですが・・・

もう一つ誤解のないように言っておきますと、多焦点眼内レンズを入れる手術の手技は、従来からある単焦点眼内レンズと全く同じで、入れるものが違うだけなので、特に高度な医療というわけではありません。国が指定する「高度先進医療」というカテゴリーに入っていますが、「レンズが今までよりは高度な技術で作られている」というだけです。

当院では多焦点眼内レンズは取り扱っておりません。

●その理由

多焦点眼内レンズの代表的なものは、中心部が遠、そのまわりが近、その周りが遠、そのまわりが近・・・・・のように、リング状に2つのレンズが存在しているという構造になっています。

すなわち、入ってくる光を近くと遠くに2分割しているわけです。

ということは、物理的に言うと、近くも遠くも、単焦点レンズの場合と比べて半分ずつのクリアー度でしか見えてないというわけです。

なので、もともとの要求度が高くない人は、「遠くも近くも両方見えるしうれしい」とお感じになるわけですが、要求度のある程度高い人は、「近くも遠くも見えない」となる可能性があるわけです。

さらに、どういうわけか多焦点眼内レンズが目に全く合わないという人がある一定数いらっしゃるようで、そういう方が手術を受けると、術後に永遠と続く眼痛や頭痛に悩まされるというとんでもないことになります。

当院にも、他院で先生に勧められて多焦点眼内レンズを入れたが、こんなはずじゃなかったと嘆いている患者さんがいらっしゃいます。例として、以下のカルテをご覧ください。



10年以上前より多焦点のコンタクトレンズは存在しておりますが、このコンタクトレンズが大ブレークしているという話は聞きません。やってみたけど見えが悪いとか頭痛がひどいのでやめたという患者さんを数多く見ました。

コンタクトは気に入らなければやめればしまいです。しかし、それを目の中に入れてしまうのはどうなのでしょうか。眼内レンズは一度目に入れたら実質取り出せません。取り出すと目の中がぐちゃぐちゃになるからです。

多焦点眼内レンズを自分に入れたという眼科医に出会ったことがありませんし、自分の親に入れたという人も聞いたことがありません。もちろん、私は自分にはやめてもらいたいと思います。

片や、 従来のレンズで、当院で大高が執刀した大高の母はいつも大喜びしています。大高の叔母(樫山徳子、横浜市金沢区在住)も大喜びしています。眼科界のすべてを知る中村泰久先生が奥様(奥様も眼科医)の白内障手術を横浜相鉄ビル眼科医院で大高が執刀せよ、とご指名下さったのですが、奥様はご自身の眼科医としての判断で多焦点レンズではなくて単焦点を選択され、今とても満足して下さっています。

当院では、当院を信じてくださる患者さんのために、実績があってほとんどの患者さんに喜んでもらえる技術だけを採用しております。たとえ目新しくとも、喜ぶ人もいるけど、後悔している人もたくさんいる、そのような技術は採用しないことにしています。みんなが飛びついたが、その後死屍累々という技術をたくさん見てきましたから。

以上のような理由で、当院は多焦点眼内レンズをあえて採用していません。

また、コンタクトで多焦点の決定的な商品が開発できなかったものが、より開発の難しい眼内レンズ(コンタクトは試作品を試すのが簡単ですが、眼内レンズは人間で簡単に試せないから)で今後開発されるとも思いませんから、今後も採用の予定はありません。

もちろん手術を手掛けてらっしゃる先生方のご努力を否定するものではありません。希望される患者さんの気持ちもわかります。ご希望の患者さんは、たいへん申し訳ございませんが、採用されている病院を受診していただければ幸いです。

●よくある質問ですが・・・なぜ多焦点眼内レンズを推奨する先生と推奨しない先生がいるのでしょうか?

以下は自分のつぶやきです。気に入らない時は聞き流してください。

二人の医師が180度違うことを勧めている場合、医師が儲からない方法を勧めてくれている側が正しい事がほとんどだと自分は思っています。歯科なんかでよく経験します。

白内障手術医の体は一つなので、その医師が手術の難しい重症例も受け入れている場合、年間に手術できる患者さんの数は1000人ぐらいと限りがあります。

もしキャパシティいっぱいに手術できるほど患者さんがいる場合、病院の収入をさらに増やすには・・・商売の用語で言うと、「客単価をあげる」しか方法がありません。

白内障手術を受ける患者さんの客単価を上げるには・・・多焦点眼内レンズを勧めるのはとても有効な方法です。

病院も事業です。客単価を上げて、より多くの収益を得ようとすること自体は自分は否定しません。

多焦点を入れて、近くも遠くも見えるようになったので良かったと言っている人は間違いなくいます。なので、この技術自体も自分は否定はしません。

「この手術を受けると、体にフィットした場合、近くも遠くも見えますから、とても幸せになれます。ですが、一部、上記カルテのように、とんでもない後遺症に悩んでいる人もいます。多焦点眼内レンズは一度入れると事実上交換ができないので、人生めちゃめちゃになるかもしれません。それでも良ければご検討下さい」という説明がちゃんとあるならば、それは「新しい技術を導入し、それを選択する患者さんにその技術を提供し、結果として客単価を上げることに成功している病院」かと・・・

そういう説明のない病院は「儲け主義の病院」かと・・・

自分らは、患者さんにとっての最大多数の最大幸福を追求して、それによってより多くの患者さんから信頼されることにより、継続的な医業をやっていきたいと考えています。患者さんの浄財のおかげで生活するに十分な報酬をいただいていますから、「客単価を上げたい」とも思っていませんし、「儲け主義」と言われるのも嫌です。

なので、自分らは、「多焦点眼内レンズは、あなたにに合うか合わないか、入れてみるまでわかりません。幸せになれるかもしれませんが、もしかして人生めちゃめちゃになるかもしれません。従来からある単焦点眼内レンズはそんな大問題起こりませんし、若い人からお年寄りまで幸せになっている人がいっぱいいますから、1つしかない大切な自分の体を使ってそんな博打(ばくち)はうたないでください」と伝えているというわけです。

最近うちで白内障手術を受けてくださった若い内科ドクターも、「多焦点眼内レンズに興味があったが、大高先生のホームページを見て単焦点眼内レンズを選択してほんとうに良かった」とおっしゃってくださいました。

ゴルフでいうと、大高キャディが「お客さん、今日はこのまま行くと確実に予選通ります。ここはバーディー狙いだと池に落ちたりでひどいスコアになりえますから、このホールは固く行きましょう。固くいけばお客さんなら普通にパー、悪くてもボギーで上がれるホールですから」と勧めているわけです。

ゴルフなら、それでも勝負するのもありです。ですが、手術は予選通過しないと人生めちゃくちゃです。ガチガチに固くいってほしいのです。

うまく説明できていないかもしれませんが、みなさんなりにご理解いただければ幸いと存じます。


●特殊難手術例

下の左の写真は白内障の中でも最も難症例であるMature type(成熟型)といわれるタイプです。進みきった白内障のために、瞳の中が真っ白なのがわかっていただけると思います。ふつうこんな目、見たこと無いでしょ? こうなると、矯正視力は0.01もありません。

こうなると手術がたいへんです。白内障の手術が一般的になった現代、こういう症例にこそ腕の差が出ますので、プロにも感心してもらえる手術を常にできるように技術を磨いています。

下の右の写真が術後です。瞳が真っ黒に戻っています。目の中は暗いので、白くなった水晶体核を取り出して入れた透明な眼内レンズをとおして、黒く見えるわけです。眼内レンズは透明すぎて写真では全く見えません。反射光は角膜で反射しているものです。手術1週間目です。われながらきれいにできていると思います。

手術は、麻酔も含めて痛みが全く無かったと皆さんおっしゃいますね。その点は一番安心してください。手術をうまくやることは当然として、痛くない麻酔に徹底的にこだわっています。ここが患者さんにとっては一番の心配事ですからね。


 ⇒  

●以下、ご紹介くださる先生に代表されるプロと、プロ級の知識を求める患者さん向けです。

上の症例はNSが進行しすぎて mature+intumescent になった、最も難易度の高い部類に入る症例です。PEAではなくて、ECCEで施行後1週間の写真です。平成17年頃の症例でしょうか。ECCEにもかかわらず、虹彩のダメージも上方に最小限で、うまくできていると思います。

Matureは、

NSが進んで真ん中が茶色いもの
NSが進みに進んで真ん中まで真っ白なもの
Corticalが進んで真ん中まで真っ白なもの

の3タイプに頭の中で分けて、中が茶色いものだけはあえて安全のためにECCEで施行するようにしていましたが、平成20年頃から、すべてPEAでやるようになりました。ですが、昔から磨いてきたECCEの技術は決して忘れていません。

matureの場合、前嚢をトレパンブルーで染色しています。染色の過程で、トレパンブルーが角膜内皮に接触すると、内皮は大幅に減少しますので、注意が必要です。試行錯誤の上、最近は内皮に全く接触させることなく、しかも前嚢をばっちり染められるようになりました。その後CCCの時にヒーロンVを使用することにより、ここ3年はmature+intumescent例でもCCCの成功率100%です。

当院ではインターネットを見たアトピーの患者さんが多くいらっしゃいます。この場合、「mature+intumescent+ASC+若年症例」という、これまたありえないぐらい難しいタイプが多々ありますが、特殊症例も数多くこなしているために技術が向上し、問題なくクリアーできています。

プロの方は3時と6時に残るcortexを発見されると思います。Matureの時は前嚢にcortexがつよくこびりついていますが、視力に影響がないので、最後までは無理にとりません。チン氏帯が弱いことも多く、トラブルの元となるからです。名より実をとるための、このへんの見切りも大切にしています。

昔から難症例のECCEを数多くやってきました。すべてPEAになった現代も、チン氏が非常に弱いなどの問題があればいつでもECCEにコンバートできる道具、手技を常にスタンバイしております。

めったに使わないものも含めて、技術の引き出しを数多く用意しておく。自分は眼科手術のプロですから、こういう部分を大切にしています。



患者さんからの質問です。



●白内障摘出手術に適した季節はありますか?

特にないです。夏だからといって、ばい菌が入りやすいとかいうこともないですね。

●両目を手術したいのですが、どれぐらい間隔をあければよいのですか?

当院では1週間あけて両目、が多いですが、すべては患者さんの希望次第です。両眼白内障があっても、片目をやってからもう片目を数年たってからやる人(私の母もそうでした)もいます。

●両目を同日にはできないのですか?

簡単に可能です。ですが、

@もし器具が汚染されていたとかで感染が起こった場合、両眼に起こってしまう。
A特異体質で、手術で想定外の反応が出る場合、両眼に出て取り返しがつかない。

などの理由で、必ず日を分けてやるようにしています。

当院は上記のことが最も起こりにくい病院の一つと自負しておりますが、それでもそういうことまで想定してリスクヘッジして、患者さんに、任せて安心と思われる医療を提供するのがほんとうのプロの仕事だと考えています。

両眼を同時にやるメリットは・・・医療機関が儲かるということです。手術の労力は、手術自体よりも、準備と患者さんの案内などが大部分ですから、少しの時間と手間の追加で倍儲かります。

患者さんにとっては1日で終わるというメリットはあると思いますが、上記のデメリットはもし起こると一生が暗転ですから、デメリットのほうがメリットと比較にならないぐらいでかいと思います。

良心の無い病院は、同じ器具と同じセッティングを使って両眼をやってしまうのでしょう。それが一番楽ですから。もう少し良心がある病院は、器具を2セット使って、術者や助手の手袋なんかも変えて、患者さんのドレープも変えて、両眼を一連の流れでやるのでしょう。それによって、@のリスクは軽減できますから。

ですが、ほんとうに良心的な病院は、両眼同時手術をやらないのだと自分は考えています。

自分は、こういうところでその病院が儲け主義か、ほんとうの良心を持ってやっている病院かを見ています。

●手術のときにかつらをとる必要はありますか?

とらなくても大丈夫です。かつらかどうかに関する質問もしません。



術後

●術後の運動、生活についての注意点を教えてください。

患者さんからよく「そろそろプールいいですか?」「いつから仕事をしてもいいですか?」などの質問を頻繁に受けます。正直に言うと、質問されるお気持ちは100%理解しつつも、医療スタッフは回答に困っています。というのは、例えばプールに行くといっても、オリンピック選手のように練習をする人から、ただプールを歩くだけの人までいるし、仕事の内容も全くわからないからです(^^)

以下には、ごくごく一般的な日本人である大高がもし患者ならこうするというのを書いておきます。最終的な判断は自己責任でお願いします。ともかくも、術後半年は特別に患部を大事にしてくださいというわけです。

白内障手術で避けるべきは「ぶつけること(傷が開く)」「水や汗が目に入ること(目の中に入ると感染を起こす)」です。特に最初の1ヶ月は感染に
注意です。そこを乗り切ると感染が起こる確率が大幅に減ります。

☆ゴルフや登山は1週間で開始しますが、暑くて汗が目に入る季節なら1ヶ月我慢します。球技は目にボールがぶつかるようなことがないように、保護用眼鏡
(防御の為のサングラス、透明でもよい)を一生着用します。

☆テニスや卓球なんかは汗をすごくかくので、1ヶ月は我慢します。やるなら一生保護用眼鏡はかけます。好きなサッカーは目にボールが当たるとアウトなの
で一生我慢やらないです。

☆海やプール(屋内、屋外)に入るのは3ヶ月以降にして、6ヶ月まではもぐらないようにします。プールを歩きは1ヵ月後から。ゴーグルは一生着用しま
す。

☆コンタクトレンズは、自分なら半年後から開始にします。3ヶ月でも問題は出ていないですが、決して推奨はしないです。

☆車の運転、自転車バイクは1週間後からにしますね。

☆お酒は正直あんまり問題ないですね。当日は眼の炎症が強くなるといやなのでやめときますが、翌日からは飲んじゃいます。深酒は免疫力が落ちるので、
1ヶ月は軽く、ビール大瓶で1本、日本酒1合ぐらいにしておきます。

☆仕事や旅や本やテレビやパソコンは、手術の週いっぱいまで休みます。飛行機は当日からでも問題ありません。

●手術後、(順調な場合)通院は、どの位の頻度でどの位の期間、通院が必要ですか?

標準的には、翌日、2日から4日後、1週間後・・・にみて、

術後1ヶ月までは週1回、
2ヶ月目は2週間に1回
6ヶ月目までは月に1回

です。経過良好の場合、患者さんのご都合により間引くことは可能ですので、ご相談ください。

●手術後、(順調な場合)どの位の期間で、見え方が固定されてくるのですか?

翌日から見えると喜んでいただけることが多いですが、手術が難しい目の場合は、2週間ぐらいかかることもあります。めがねが作れるぐらい完全に固定するのは3ヶ月ぐらいです。

●遠方から手術を受けに行きたいのですか、術後、近くの先生を紹介してもらえますか?

大丈夫です。当院は、白内障手術に関しても、北海道から沖縄まで遠方の方もたくさんいます。慣れていますので、任せておいてください。



眼鏡

●白内障予防に適した眼鏡はありますか?

よほど強い紫外線を長時間浴びるとかでない限り、白内障に関しては、紫外線を過剰に意識することはないと考えます。その根拠は、紫外線を特に多く浴びる職業(猟師さんとか)に、翼状片などの病気は際立って多いのですが、白内障が特に多いという印象がないからです。

ですが、厳密に言うと、紫外線は白内障を少しは進行させますので、ものすごく気になる方は、眼鏡の装用をお勧めします。

眼鏡は、サングラスのように色がついている必要はありません。透明でも紫外線がカットできる眼鏡(UVカット)ならば良いです。まぶしいとかで色をつけたい方は、薄めの色、黄色やピンクや茶色系をお勧めします。自分たちも製品を出していますので、ここをご覧いただけると、自分たちの製品以外を購入される場合の参考にもなるかと思います。

●術後、眼鏡を作成する場合、手術後、いつ頃、作成できるのでしょうか?

3ヶ月ですね。術後3ヶ月間は度数が変わるので、作った眼鏡が無駄になるとみなさんのお金がもったいないからです。

ですが、やっぱりどうしても早く眼鏡がほしいということで作成される方はけっこういらっしゃいます。それは個人の自由です。当院で処方箋を交付してもいいですが、混んでいる時とかは時間がかかりますから、眼鏡屋さんに直接行かれて良いかと思います。早く作る場合も、せめて術後1週間は待たれたほうがいいかと思います。

●眼鏡はいくつぐらい必要でしょうか?遠用と近用は分けたほうがいいのですか?

すべて、眼鏡屋さんと相談して、お好みどおりにされると良いかと思います。

最大に多い人で遠用中用近用の3つ作っている人もいますが、何もかけなくても問題なくすごしている方もいらっしゃいます。

●術後、目を保護するために薄めのサングラスのようなものをかけたいのですが、先生のお勧めはありますか?

現在、いろんな良い製品がありますので、眼鏡店さんで相談されると、たいてい適切なアドバイスが得られると考えます。ですが、そういう信頼できる眼鏡店さんをご存知ない方のために、自分たちも目を保護する薄いサングラス(アイプロテクショングラス)を提供しています。度つきも可能です。

興味のある方はここをご覧下さい。自分たちの眼鏡を買わなくてもいいですから、ご覧になると、みなさんが自分で購入される場合のヒントにもなるかと思います。

●眼鏡店は、ご紹介いただけるのでしょうか?

当院は特定の業者さんと癒着することによる患者さんの不利益を避けるため、提携している眼鏡屋さんがありませんので紹介していませんが、行くあてがなければ、近所でちゃんと作ってくれるところを紹介しています。



他院

●他院で白内障手術を受けましたが、術後経過がおもわしくないので、今後 、横浜相鉄ビル眼科医院診ていただけますか?

もちろん大丈夫です。ちなみに、みなさんに少しでも良くなってもらえるよう努力はしますが、前医の治療に関しては、前医に迷惑をかけたくないので、基本的にノーコメントとさせていただいています。

●その際、今の病院のカルテのコピーは必要ですか?

必要ないです。

●他院での白内障術後、まぶしくてしかたがないのですが、何かいい方法はありませんか?

うちではめったに言われないのですが、案外これでうちを受診される方がいます。自分たちが作っているアイプロテクショングラスをお勧めしたいです。ぜひここをご覧ください。


白内障の手術を受けた患者さんの声です。患者さんの許可をいただき、体験談を掲載させていただきました。



大高先生こんにちは。
先週の火曜日に白内障の手術をしていただいた山中稔の娘です。
一言感謝の気持ちをお伝えしたく、メールしました。

有名眼科で手術を断られたにもかかわらず、正直今の視力が保つことが出来たらと、最後の望みを託し、先生にこの度出会え、手術は大成功で、父の視力の回復力に家族全員本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

父は本当に嬉しくて手術の次の日の水曜日の診察の後、母と横浜西口を散歩したみたいです。
だんだん弱くなっていく自分の視力をかかえながら過ごしてきた父の心中は、想像するよりさぞかし不安でいっぱいだったと察します。しかし、先生に出会えて本当に父の心の中にも光を与えてくださって本当にありがとうございます。
母はやさしくて、使命感にあふれる先生の大ファンになってます!

お体には気をつけてますますのご活躍お祈りしております。

バウジェン山中 もとみ

大高先生へ
 
匿名じゃなくてよいので、HPに載せてくださいっ!寧ろ匿名じゃないほうが良いです!(笑)
 
ちなみに主人とこの間、先生のクリニックに、両親を驚かせようと思い、横浜に結婚記念日に伺いました!
あいにくお会いできませんでしたが、主人はオーストラリア人なので、眼で何かあったら、必ず、先生に診てもらいます!
 
では、お体には十分気をつけながら、ますますのご活躍を!
 
バウジェン山中 もとみ



残暑お見舞い申し上げます。

8月3日に白内障の手術を受けたAの娘です。
先日は母の難しい手術を引き受けていただき、本当にありがとうございました。

地元の眼科では、白内障が進行しすぎていて、「手術をしても視力が回復するかわからない。診察に来るのが遅すぎた。1回の手術では終わらない。ちんし帯も衰えているし、てんかん痙攣もある。手術をするなら全身麻酔になり、高齢ゆえ、体力のことを考えるとなにがおこるかわからない。」という話を先生から受けて落ち込むばかりでした。決断に迷い、先生ならどうするかと尋ねると、「僕ならしない」という返事をされました。どうしても手術をのぞむなら、ゲームのように手術をするだけと言われ、ただ愕然とするだけでした。悩んだ末、ほかの医師を探そうと思い、インターネットで検索したところ、白内障の手術時間が4分という先生を知りました。手術時間が短いなら全身麻酔をしなくても手術できるのではないかという安易な考えから東京行きの準備をしていました。しかし、先生の顔が見えないままでの状態に不安を感じていました。さらに東日本大震災が発生し、行くべきか迷いました。

そんな中、テレビ番組で大高先生を知りました。けれど先生の得意なのは翼状片と紹介されていたので、白内障はどうなのだろうかと思いつつホームページを拝見しました。そこで先生の手術に対する姿勢、豊富な経験、患者さんに対する思いを知り、先生なら母の手術を受けてくださるかとの思いで来院しました。先生から「家族の思うようにする」「難しいことをするのが僕らの仕事」「がんばりましょう」とおっしゃることにとても救われました。とはいえ手術が終わるまでは、たとえ最高の手術を受けたとしても痙攣がおきないかという不安や体力はもつのかという不安でいっぱいでしたが、痛みも感じることなく無事に手術が終了し、母も元気でした。翌日、眼帯を外した母の第一声が、「人のかたちが見える」でした。いままで全く見えていなかったので、驚きと同時に喜びを感じ、あきらめないでよかったと思いました。母は「先生から新しい目をいただいた」と言っていました。

(注:わかってもらえたらうれしいです。翼状片は確かに得意ですが、白内障はもっと得意です(^^))

現在、母も家族も両目が見えていることに感動しています。楽しみの一つであるテレビでのゴルフ観戦、『渡る世間は鬼ばかり』、『NHKのど自慢』などを楽しんでいます。何度お礼を申し上げても足りないくらい感謝しています。

つたない文章で失礼しました。メールに疎い叔母(Aさんの娘さん)に代わって、姪が代筆致しました。
先生のますますのご健闘をお祈りします。

大高先生
お忙し中お返事ありがとうございます
私のメールがお役にたてるなら幸いです
ホームページへ掲載していただければと思います


横浜相鉄ビル眼科医院
鄭 守 先生
スタッフ御一同様

拝啓

若葉の季節となりました。皆様方にはご健勝にてお過ごしのことと存じます。
昨年4月16日に右眼白内障の手術をしていただきました埼玉県在住のTと申します。
その節は大変お世話になりまして、改めまして厚く御礼申し上げます。

それから1年経ちましたが右眼の状態は安定しており、諦めかけていた視力の回復を実
現することが出来、大変嬉しく思っております。

もともと強度の近視であったのに加え、長年のコンタクトレンズ長時間使用の影響もあ
り、平成20年の秋(当時58歳)、両眼白内障の診断を受け、それ以降特に右眼の症状が徐
々に進行し、右眼の手術を勧められるに至りました。

強度近視で白内障の手術を受けるには、網膜の状況ならびに手術との兼合いを十分把握
する必要性を自身もよく分かっていましたが、紹介により受診した大学病院他の眼科では
そこまでの確認が得られず、手術に踏み切れない状況にありました。

そうした中、平成23年冬に妻が探した情報から鄭先生の存在を知り、同年12月下旬
に先生の診断を受け、網膜の状況からみて手術は可能との見解をいただきました。

翌平成24年3月末で当時の勤務先を退職し個人事業主への転進を決めたのを機に、同
年3月下旬に再受診の際4月16日に幸い枠があったため手術を決断いたしました。

手術に多少の不安はありましたが、術中及び術後の痛みは殆んどなく、手術中に抜ける
ような青空が広がったのを鮮明に覚えており、あの瞬間に新たな視力の回復を実感しまし
た。

その後の経過としまして、約1ヶ月後に縦横の罫線が少し歪んで見える症状が出ました
が、もともと在った素質が手術により顕在化したものと先生からご説明いただき、その事
をあまり考えないよう心掛けたことで、現在は殆んど気にならない状況です。

また、手術から3ヶ月程経った昨年8月中旬頃から次第に視力が落ち始め、その原因は
後発性白内障との診断に基づき昨年の10月下旬にレーザー手術をしていただき、それか
ら半年近く経過しても視力が落ちることなく、0.4〜0.5の裸眼視力を維持できてお
ります。

現在、フルタイムでの仕事ではないものの、オフィスや自宅でのPC作業に眼も大分慣
れ、ほぼ諦めかけていた自動車の運転も出来るようになり、視力を回復できていることの
有難さを実感している日々であります。

今後も油断することなく、3ヶ月毎の眼底検査を始めとしたケアの継続を徹底するとと
もに、左眼の白内障が進まないよう、日常生活の様々な面で十分留意したいと思います。

貴医院にはこれまで18回通院しておりますが、スタッフの皆様が大勢の患者さんに対
し丁寧に且つてきぱきと向き合っておられる姿を拝見いたす度、貴医院全体の方針が現場
の様々なシーンで実践されていることが良く分かります。

今後も「眼がよく見えるようにしたい。原因をはっきりさせたい。」との切実な思いで
全国から来られる大勢の方々の強い味方であり続けていただきたいと存じます。

最後になりますが、貴医院の益々のご貢献ならびに皆様のご健勝を祈念いたしまして御
礼とさせていただきます。なお、心ばかり地元の御菓子をお送りさせていただきましたの
で、皆様のご休憩時間にお召し上がりいただければ幸いに存じます。

敬具

平成25年4月20日
埼玉県さいたま市

追伸
強度の近視である人が白内障手術の可能性を見極める場合、眼の表だけでなく網膜を始
めとした眼の裏側もよく診察していただくことが極めて重要になると考えております。

その意味で横浜相鉄ビル眼科医院の鄭先生は、そこの部分を総合的に診察くださったう
えで、分かり易くご説明くださいますので、安心して受診ができると思います。

また、私が現在そうであるように、白内障の手術後は眼底検査などの定期的なケアが
大変重要になりますので、鄭先生の診察を継続的に受けることで二重の安心感を得られま
す。
勇気と希望をもって、鄭先生の診察を受けられることを心よりお勧めいたします。



おはようございます、白内障を手術して頂いた後の日々は心が弾み、言葉に表現出来ない程、感謝しながら生活しています。
昨日先生に診察して頂いた後、娘の右目が最近、少し暗くなってきているとの事で、先生に診て頂きたいと思いましたので、娘に連絡しましたら、東京医療センターで大高先生の後輩の秋山邦彦先生に予約して診て頂いた、との事でした。そして「一ヶ月後に来て下さい。」と仰ったそうです。

土曜日に相鉄ビルの先生の病院にいらしていますね、そして大高先生が絶賛していらっしゃいますので、私は精神的にホッと致しました。

母は大高先生、
娘は大高先生後輩の秋山先生、何と嬉しいご縁でしょうか。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。
心から有難うございました。
m(__)m

深く感謝のKuniko

(私のメールどうぞお使い頂きたいと思います)



9月7日に右眼白内障の手術をしていただいたAです。
おかげさまで経過は順調で、左眼にだけコンタクト・レンズを入れて
支障なく仕事と日常生活ができております。

幼少のころに病弱で、小学校入学前の大部分を病院で過ごしたと
いう経験のためか病院嫌いになってしまいまして(小児喘息で同じ
ような経験をした従兄弟は「小児喘息で苦しむ子供を救いたい」と
言って医者になったのですが、私の場合は病気が違いまして、治
療が痛かったのです)、白内障手術についても、数年前から、妻に
「早く手術しないと、だんだん難しくなるよ」と言われ続けていながら、
仕事の忙しさを口実に先延ばしにしておりました。

しかし、コンタクトで矯正しても運転免許更新に必要な視力を得る
ことが難しくなり、いよいよ人生最初の手術を受けざるを得ないと
いう事態に至りましたが、業種は異なるものの専門職に携わって
いる身としては、ある領域におけるトップ・レベルとスタンダード・レ
ベルとの技量の差が(業界外の人間が想像する以上に)大きいと
いうことは熟知しておりますので、半年近くかけて情報を収集した
結果、遠路、先生の病院を訪ねさせていただくことと致しました。

手術中は「目を動かしちゃダメ」と意識するあまり、かえって結構
キョロキョロしてしまったのではないかと思います。
ただ、「自分で術者を選んだ以上、全てをお任せするしかない」と
思っていられたことは気持ちの面で非常に楽でしたし、私自身も、
そのように依頼者から思ってもらえるよう努力を続けなければと、
改めて初心に帰ることができました。

いずれ左眼の白内障が進んできたら、また先生に手術をお願い
することになるかと思いますが(その前に私の母の手術をお願い
することになるかもしれませんが)、ひとまず今回の御礼まで。
末筆ながら、今後の先生の益々の御活躍と御健康をお祈り申し
あげます。



拝啓

昨日の手術は大変有難うございました。

ホテルで1泊、何もやる事ないまま昼から寝てましたが、左目眼帯・右目出血見えない状況は、「これは大変なことだと」つくづく見える事の幸福を考えざるを得ませんでした。

今日は恐る恐るの確認でしたが、「視力検査表」が今までとはまるで違う物を見てる感じに、画用紙に油性のマジックで油に滲みがない、大きな漢字を書いた感じに、ビックリ仰天でした。まだ油断は出来ないでしょうが、本当に有難うございました。

手術はもっと緊張するかと思いましたが、先生の進行確認を聞きながら、もうすぐ見えるようになると体はリラックスしていたようでした。
会社や、女房子供、兄姉妹に「やりましたよ!」と電話してました。嬉しかったです。

現在持ってるメガネがまるで会わなくなってしまいましたが、早く安定して新しいメガネを用意する日を楽しみにしたいと思っています。
有難うございました。

神成

拝啓

今日は会社に行きました。70人ほどの会社ですが、「凱旋」したような祝福を受けました。余り無理しないで下さい、大丈夫ですか、早く帰ったほうが良いのではないですか等々。

自分も少しはしゃいでしまったようで、疲れたか、夕方の目薬がちょっとしみたので、「もう帰ろう」と帰ってきました。

お礼が、先生のHPヘ使ってくれるとのことですが、何の異論もありません。本名も結構です。すこしでもお役に立てるなら光栄です。

明日は会議の後、診察にうかがいます。よろしくお願いします。

神成

うれしいですね。

片目の視力があまり出ない人の良いほうの目の手術はたいへん緊張するもので、手が震えてできない術者もいます。幸い今まで場数を踏んでいますので、そういうこともなくスムーズな良い手術をすることができたと自負しています。会社のみなさんから祝福を受けたのは、やはり神成さんの人望ですね。病院で見ているだけで後輩に慕われているのがわかります(^^)

返事 by大高、です。

拝啓

お世話になります。

先生のHPを見ました。自分の「嬉しさ」と、「何かお役に立て」れば、と改めて感動です。

先生の紹介欄に「一発の手術でその人の人生の流れが変わる〜」と言うのがありましたが、10月20日(金)浅田次郎の「月下の恋人」を買い、帰りの電車で読みました。

30センチぐらい離して読むと、苦なく読めてドキッとしました。昨年出血をしてから、電車での読書・新聞はかなり辛く、とうざかっていましたが、何事もなかったかのようにストーリーを追いかけました。これはドキドキといっていいのではないでしょうか。

北鴻巣駅前では、今まで気がつかなかった見えなかった「はなみずき」の小さな赤い実が一杯なってるのが見え、「ワァー!」と言った感じでした。会社では「神成さん、メガネはもうかけなくてもいいんですか」と、唐突に聞かれました。いやいや落ち着いたら掛けますよ、と言う事自体、流れは大きく変わり始めているようなことかも知れないと、思っています。

来週は会社の「お祭り」(工場の開放)と息子の大学の役員会(水・木・金)で忙しいですが、気をつけて頑張りたいと思っています。月曜日午後診察にお伺いしたいと思っています。

敬具

神成

拝啓

本日は大変有難うございました。

今日は会社は休んでいますので、病院から帰って、鴻巣の「メガネのパリー・ミキ}へ行きました。自分のメガネはずっとパリーミキでした。

落ち着くまで我慢したいけど、作ることにしました、と「検眼」しました。今年は実は4月に1回購入しているんですが、全然合いませんし、「落ち着く前にかけても影響はない」とアドバイスいただきましたので、行きました。

いつもの店長さんが「検眼」したのですが、終了後「すごいですね、白内障の手術をした方が来ますが、多くの方は若干遠視より、若干近視よりですが、0ですよ。自分の経験では、はじめてのような気がします」といってました。

医学的、業界的にどう評価するか、そのあたりのことかと思いますが、賞賛しておりました。

さ来週又お伺いします。

敬具

神成

神成さん、いつもおほめいただき、ありがとうございます。ご本人のご了解を得て、本名で掲載させていただいております。 by Otaka



大高先生、
大変お世話になりました。

正直、ここまで見えるようになるとは
思っていなかったので、
笑いが出るほど嬉しかった!
同時に、見えると思って頼り切っていた右目が
こんなにも見えないとは…。
驚きでした。


たぶん、どの患者さんもがおっしゃる
「もっと早く手術をしていれば良かった」という言葉…。
私にとっても一面ではそうだったのかもしれないけれど、
先生との出会いや、いろいろなことを含めて、
今だったのだと思います。

本当にありがとうございました。

1週間後の検査は、日赤に行かせていただきます。
その後は、時々、
見える目で先生を見に(正しくは診ていただくために…ですね)行きます。

そして、次の右目もお願いします!]




こんにちは。先生!
さっそくのメール、ありがとうございます。

もっともっと、
手術前〜手術後、そして、これからのことまで
感謝の気持ちはもちろん、
お伝えしたいこともあるのですが、
あのような文章で良ければ、ぜひぜひ掲載してください。

それでは…。

いままでとは違う自分で、
出かけてきます。




以下のJyunkoさんは、うまれつきの白内障で、幼少時の手術のときに大量の水晶体が取り残されていた状態で、ネットを見て当院にいらした患者さんです。小角膜といって、黒目が小さいのですが、水晶体の大きさは普通と同じなので、術後の乱視をださないように小さい傷から取り出すのが大変なんです。普通の症例はうまくできてあたりまえです。Junkoさんのような、難しくて普通のドクターが避けたがるような症例をきちっとできてなんぼと考えております。こういう難しい患者さんの手術をやることによって、通常の患者さんに対する技術もまた向上しますし。



大高先生こんばんは。2月6日に手術をしていただいたJunkoです。

いつも診ていただいてありがとうございます。
毎回「よし順調!」と言っていただけることを嬉しく思っています。
お礼をきちんと言えないままになっていたので、今日は是非お礼を言いたくてメール
しました。
長くなってしまったので、お時間のある時にでも読んでいただければ嬉しいです。


視界が霞みはじめて10年弱・・・眼科でも「変わりない」しか言われないのに悪くな
るばかり・・・。
昔何度も手術しているのになぜ霞むの?とずっーと悩んでいました。
このままじゃイカン!と思い病院を探すこと半年・・・。
大高先生に実際お会いするまでは「こんなややこしい目、ほんとに診てくれるんかな
あ?」と心配でした。

最初の頃、「手術はイヤ」なのに「霞みはとりたい」だの、今考えると私、相当ワガ
ママ患者だったのでは?と思います。
そんな私に納得するまでレーザーしていただいたこと、すごく感謝しています。

本当は最初から手術をお願いすれば、先生に余計な手間をかけずにすんだのでしょう
が、あの期間のおかげで、自分の目の状態がわかって(30年もの間誤解していたとは・
・・恥)手術を受ける気持ちが固まっていったように思います。

「これはかなりの大手術やな〜」と聞いた時はやはり衝撃でした。
そんなにややこしいんか私の目?って思って・・・。

でも、「大手術」なのもきっと眼のことを考えてくださってのことでしょうから「簡
単な手術」って言われるよりかえって安心できました。
それに、その時の大高先生のすごく優しい眼差し・・・!今でもよく覚えてます。
普通こういう時のお医者さんってすごく厳しい顔をするイメージがあったので(それ
でこちらは余計不安になる)、そこにまたまた衝撃を受け、結局それらが決め手とな
り「お願いしよう!」と決断できました。

手術当日は「悩んだ10年に比べれば手術の時間なんて短い短い!」と自分に言い聞か
せて臨みました。全く痛くなかったです。(器具を外すときがちょっと痛かったかな?

手術の様子は全く見えないけど、手際よく手術が行われているのが雰囲気でわかりま
した。
最後の「これ以上ないくらいきれいになった」「やっと長年の汚れがとれたな!」
「完璧や、もう芸術!」のお言葉・・・緊張がすーっと解けていきました。
安心したし、もう言葉にならないくらい嬉しかったです。

翌日、眼帯を外したときの感想は・・・

「うわっ!なんじゃこりゃ〜! めちゃめちゃ明るい!キレイ☆」

でした。他の患者さんを診察している先生の顔が輝いて見えました(笑)
驚きでした。と同時に31年間明るいと信じていた右目が暗くてくすんでいることにこ
れまたびっくり! さらに、手術前の左目はそれより暗かったということに気づきま
たまたびっくり(@_@;)

霞みもずいぶん軽減されました。
今まで「黒」だと思ってたものが実は「紺」だった!なんてこともありました。
夜道や段差で怖い思いをすることも減りました。
少し離れたところにいる人の表情がわかるようになりました。
ピントが合ったときは、今までより格段にキレイに見えます。
なんと言っても視界が明るいと気持ちも明るくなります!

視力なんて上がらないって思ってたのに、人生最高の0.6が出てびっくり!
(私、12歳まで0.2だったんです・・・これ、信じてもらえないかなぁ?)

さらに、視界の下半分にずっと居座っていた飛蚊症のデカいのまで消えてくれました!
(ラッキー♪)

こんなにいい事がいっぱいですごく感謝してるのに、診察では「ブレて見える」だの
いろいろ言ってしまって・・・私贅沢ですね。

ひとつ叶うとつい欲が出てしまうのが人間なのかもしれませんが、瞳孔の開閉のでき
ない自分の目の限界がよくわかったし納得です。

眼振のため、手術前から左目は文字が見にくく、主に遠くを見るために使っているた
め(右目は近く用です)明るくクリアな世界が見える今の状態の方がずっと都合がい
いので大満足です(^-^)v
正直、最初ちょっと慣れなくて戸惑ったけど、もう大丈夫!
新しい左目、なかなかいい感じです☆
朝目を開けたとき、夜道を歩くときなど、じわじわと嬉しさがこみ上げてきます。


それから、先週の診察の時のカラーコンタクトのお話、すごく嬉しかったです。
黒目が小さい「見た目」のこと、実はとてもとても(視力よりもずっと)気にしてい
て、今まで誰にも言わずにずっと心にしまっていました。

眼科の先生って視力、それも数値で明確にわかるものしかみてくれないって思ってま
した。見え方が悪くなっているのに「視力下がってないならそれでいい」と今まで何
度言われてきたことでしょう。

でも!! 大高先生は一度もそんなことはおっしゃらなかった。
私それがすごく嬉しかったのです。

数値だけでなく、「見え」の質まで考えてくださる、それだけでも嬉しい驚きだった
のに、さらに「見た目」のことまで考えてくださるなんて・・・眼科通院歴30年の私
ですが今までそんな先生にはお会いしたことはありません。
もう胸がいっぱいで泣きそうで泣きそうで・・・帰り道涙出ちゃいました。


眼科とは一生のお付き合いです。
もともと弱い目、これから先、何が起こるかわかりません。
(今は霞んでいる右目が気になります…。)
これから先もずっと大高先生に診ていただければ、こんなに心強いことはありません。
どうかこれからもよろしくお願いいたします。

ついつい長くなってしまいました。
お礼を言いたいことが山ほどあって、全部は書ききれません。
恩返しなんて何もできないけれど、友人に先生のことを紹介しています。
実際に診察に行った友人もいて、ものすごく喜んでいましたよ。

たくさんの患者さんに元気を分けてくださる先生、きっとお忙しいでしょうが、お体
にはくれぐれもお気を付けください。


最後に・・・手術を決めた年末の診察最終日、実は私の誕生日でした。
明るいクリアな世界は最高の誕生日プレゼントとなりました!
ありがとうございました☆

Junko


☆彡

Dear Dr,

台風の後、急に秋になってきた気がいたします。
益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。

日が短くなり、母が帰宅する頃、外は暗くなる季節となりました。
先日は、車で家に戻ってくるなり、
「何だか新しい目を入れたみたいに良く見える!」と
術後の感想をもらしていました。

つくべきは名医!ですね。

本当に感謝に堪えません。
ありがとうございました。

ひきつづき、宜しくお願いいたします。

栗田 仁
http://www5f.biglobe.ne.jp/~j-archi

栗田先生は、静岡で街づくりにも関わってらっしゃる、腕が良くてとってもアクティブな建築家です。以前静岡のFMで先生がやってらっしゃる番組に出演させていただいて以来、かわいがっていただいてます。横浜に、静岡在住のお母さまをご紹介いただきました。手術はばっちりです!ありがとうございました。


長い間、大変御苦労様でした。多くの患者ならびに、厄介な父を診ていただき、誠にありがとうございました。感謝、感謝であります。

日赤を終わられて赴任なさる地でも、先生の実力を発揮されて、頑張ってください。

また、お会いできる日を楽しみにしております。ありがとうございました。

大高 功先生へ   宮田潤一

宮田先生は静岡市内で「宮田医院」をご開業の、僕の尊敬するたいへんかっこいい外科医さんです。静岡関十病院の医長時代、多くの患者さんの目の手術を紹介いただき、ご自身のお父様の白内障の手術も任せていただきました。(ドクターやドクターのご家族に限って難しい症例なんですが・・・(^_^;))。静岡日赤を退職することを知られたときにいただいたメールを掲載せさせていただきました。宮田先生、こちらこそかわいがっていただき、たいへん感謝しております。



大高先生
4月になってしまいました。大高先生が日赤におられないと実に心許ない今週です。
どこの病院の先生も白内障のオペがお嫌いなのでしょうか?
自分からオペ希望した患者が、他病院受診して説明を聞くと、やっぱやめたーと戻っ
てきてしまいます。オペ前の話で、日帰りオペでもオペ日と翌日は家族の付き添いが
必ず必要とか、オペ後半年は両院に通院するとかいろいろ病院側からの視点のみの要
求が多いのです。
かといって頼むしかないのですが・・・。
先生にはお世話になり、患者は幸せでした。本当にありがとうございました。

このメールは、静岡でたいへんかわいがっていただいている先生からのものです(匿名)。今は逆に、静岡時代の患者さんを紹介して、診ていただいています。
先生、ありがたいお言葉、ありがとうございます。こちらこそ、これからも静岡の患者さんがいろいろお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします。



A社(白内障手術器械のメーカーさん)のKです。

先日は先生の最終日でありながら、お忙しいところオペ見学させて頂き、本当にありがとうございます。別件で器械の搬入があり、OPE途中でちゃんとご挨拶もせず退室してしまい大変失礼致しました。

前回拝見できなかった先生のOPEは素晴らしく私にとっても大変勉強になりました。 お世辞ではなく、私がこの会社に入ってからそれなりの数の先生方のOPEを見学させて頂いておりますが、患者さんの眼に負担が少なく、かつ効率の良いOPEというケースは実際少なく、先生の場合、患者さんを大事にされている事がひしひしと感じられ、その上で非常に洗練された手技であったと感じております。

今後も基本的に月一ではありますが、色々とお教え頂きたく思っております。次回も楽しみです。今度は旅館に泊まって温泉に入りたいと思ってますが・・・。4月末も宜しくお願い申し上げます。ありがとうございました。

K君、ありがとう。K君のようないろんな病院で手術に立ち会ってる器械のプロからほめてもらえるのはうれしいですね。

ところで、以下は、K君の後任の方です。もともと大変構造の弱い目の患者さんの手術にたまたま出会いました。体質的に目の弱い方に、たまにこういうことが起こります。難しくてトラブルになる症例に出会ってもあせらずあわてずしっかり治してくるのがいちばん大切です。


大高先生

日頃より大変お世話になっております。
また本日は初めて訪問させて頂き、オペも勉強させて頂き誠にありがとうございました。

もともとKから大高先生の白内障のオペは一度見た方がいいと言われておりましたので今回は
楽しみに参りましたが大変な症例で、私にとりましては別の意味で大変いい経験をさせて頂きました。

あのような困難な症例にでも、あの様な落ち着いた冷静な先生のご対応に
大高先生のキャパシティーの大きさ、懐の広さを感じました。あの様な状況では多くの場合
オペレーターご自身が冷静さを失い、それによってスタッフも慌てる。その状況を当然患者様も
感じて不安に思い、いらぬ所に力が入る。二次災害の恐れも出て来てしまいます。
大高先生の普段と変わらぬご対応によって、スタッフの皆様も慌てることなく的確に必要な物を
選択し準備されておりました。見事なチームワークでございました。お恥ずかしい事に私が一番
慌てていたようでA−Vitのモードになっていないのに先生にはフットペダルを踏んで頂き、大変
失礼致しました。

是非次回は通常の大高先生の手技を勉強させて頂ければと思っています。

何かこちらでお役に立てる事がありましたら下記携帯でもメールでもご連絡下さい。

今日は誠にありがとうございました。

H

大高先生

早速のお返信ありがとうございます。
先生のHPは以前より拝見させて頂いておりましたが非常に充実されており
先生の医療に対する想いやスタンス、人となりが満載されており大変感銘を
受けました。そのHPに乗せて頂ける事は私のとりましても嬉しい限りでございます。
不都合がありませんでしたらよろしくお願い致します。

今後ともよろしくお願い致します。

H


りくこバアチャン、Dr.大高のまな板に乗る。(白内障Ope体験記)

チョット前置きが長いけど、辛抱して読んで下さい・・・・・・。

りくこバアチャン(以下私)が、日赤に通い始めたのは平成7年頃からでした。眼がなんとなく、塩水にかかったように痛くて、日赤眼科に診察に行きました。そのときの先生、名前忘れました(失礼)。目じりに何か細い試験紙のようなものを挟み、「これはきっとドライ眼ですね。目薬出しておきます。」・・・といっておしまい。何も無かったら半年後に又検査に来る用にと予約が入りました。

それから半年後に行きました。なんと先生が変わってましてん。そして半年、なんと又先生が変わってます。次の半年も同じこと。なんと日赤と言う病院は先生の入れ替えの多いこと、これなら開業医にお願いしようかなと思い始めたときに、Dr.大高に出会いました。今度の先生も、又いつもと同じかと思っていたら、なんと懐かしい関西弁、おっ今度はいけそうだぜ、と思い、

「先生、今度来るまで、やめんといてや」
「心配せんでええ、やめへん、やめへん」

それから、又半年、なんと先生が居てはりました。それから又半年、まだ居はりますねん。

その頃、静岡市の中心街の{すみや}と言うパソコン店に私が入ったときのこと、奥の方で聞き覚えのある声

「オイ、オイ、僕のしま荒さんといてや」・・・・

静岡のド真ん中で懐かしい関西弁、これはきっと大高先生や、と思って奥にはいっていくとヤッパリ・・・

「先生今晩は、」

「何や井上さん、こんなとこに用あるんかいな」

私はびっくりしましたよ。患者の名前をきちんと覚えてくれている。こりゃええ先生や。よっしゃこの先生に私の目預けよ・・・このとき決心しました。

でも私も大阪生まれ、

「ばあさんがパソコンしたら、いかんのかいな」と言ってしまいました。ずいぶん失敬なばあさんです。

この時からです。先生にりくこさんと呼ばれるようになりドンドン親しくなりました。

そして今年(H15年)の春のこと、

「先生、このごろパソコンつらいわ、半角英数が見えにくくなってきてな、あかんわ」

でもまだ、どうにか裸眼で新聞は読めました。(余談)

「よっしゃ、よう見えるようにしたろ。何時やる。」

チョット、チョット、待ってくれや、そんなこと言われたかって、こっちにも都合があるやん・・・・・

「夏過ぎてから、秋になったら又相談に来るわ」

「そうか、ホンなら10月頃やな、」

といってカルテに記入されてしまいましてん。このときから私はもう俎上の鯉(鯰かな?)・・・

いよいよ秋になりました。心中穏やかならずです。眼見えんようになったらどうしよう、費用はどのくらいかかるのやろ、主人の面倒は(主人は要介護3)どないしょう。そら心配でしたヨ。

でも、先生との約束を破るのも嫌だし、10月のはじめ相談に行きました。

「ゴチャゴチャ言わんと決めてしまい、人間決断の時期が大事や・・執刀日は火曜日、月末と月初めなら、

どうにかなるんやな、ホンなら28日と4日、ハイ決まりましたっと。右眼からいくで、エエナ」

「あかん、左眼からにして」

「普通は右からするねん。ややこしい事いうたら、間違えるで、まあ、どっちからでもしたるけど」

診察室から出るとすぐに、いつもの看護婦さんが来て、「今から検査する? 明日でもいいよ」 「明日するわ」 「入院は3泊4日が普通だから10日間にしとくよ、途中は外泊にしたらいいからね」、なんだかバンジージャンプを後ろから押されたみたいに決まってしまいました。

検査は、血液検査、心電図、尿検査、胸のレントゲン、これくらいでした。

やっと、病院体験・Ope体験に入ります。長い前置き呼んでくださって有難う。

入院は手術日前日のPM1時半、夕食前に柴先生(手術着をきるとすごくダンディ)が見えました。大高先生が忙しいから私が明日の説明をします、処置室(眼科病棟あります。)に来て下さい。

そこでは目玉親父のような模型を出して、色々説明を受けます。ここにある薄い膜の中にレンズを入れるのですけど、時にはコレコレのようなことが、たまに起こります。このコレコレがたくさんあってよく覚えていませんが、少し心配になりました。

手術も右眼からか、左眼からかもハッキリしなくて何度も確かめました。さらに麻酔のことも目玉に注射するの?と聞くと目薬でやるのだとの話、私は歯医者さんに余り麻酔が効かないね、と言われたことがあったので、先生頼むよ、と念を押してしまいました。

その後ベッドに戻っていると、大高先生が!(^^)!を見せてくださって、

「心配ないから今日はゆっくり寝いや・・・・・」

たった一言なのに、心の奥にジーンとくる優しい言葉です。さすがDr.大高、いい先生。

翌28日、12時、13時、14時、抗炎症、瞳孔拡散など手術に必要な目薬を射します。さらに14時から点滴をはじめます。

二本目の点滴をしたまま手術室に向かいます。そこで5回、目薬を射します。多分これが麻酔の目薬でしょうか?

いよいよまな板の上に乗りました。大高先生とサブには芝先生、芝先生は昨日の説明のときに私が心配していたことを、「間違いないよ、右・右。これから消毒するよ、しみるかい、麻酔が効いてないとこれは超しみるのだよ。ほら痛くないだろう、効いてる効いてる。」

柴先生もとてもやさしい。そうこうしている内に右眼だけをバッチリあけたまま固定され、きっと私の顔は右眼だけ残して全部覆われていたのでしょう。

右手に点滴、左手に血圧計、指に血中酸素計

「さあ、りくこさん始めるで〜 よう見ときや」、 「光ってるとこ よう見るねん ソウソウ ええ患者さんや」

「先生、なんやこれ、スッゴイきれいやんか、グラデーション、それとも虹、そうやオーロラ」

「きれいやろ、次これ入れたらもっときれいで」

なんて話している中でも、手術の方法を他の先生に指導しているDr.大高。ヤッパリ鯉になってよかった。

感激しているうちに手術終了。その間、わずか15分足らず。

大きな眼帯をつけて、まな板から降りた私に握手してくれた先生の手が暖かい。

手術中に見える映像

夢かうつつか幻か。

この黒いところがもっと光り、常に動いているのでしっかりと掴めません。

手術後の痛みもあまりなく、夜の食事も普通に摂れました。

翌朝、処置室に呼ばれました。そこでもう眼帯をはずすのです。そして眼球保護用のメガネをかけます。

傷はとてもきれいになっていますよ大丈夫。もう本を読んでもテレビを見てもいいですよ。と診察してくださったのが、これまた、眼科に掃き溜めの鶴が下りたような美しい兼田先生。

病室に帰って来たのはいいけど、窓から入る光を恐る恐る見るとズンと突き上げるような痛みがある。どうしたのだろうと、静かに1時間ほど目を閉じていたのです。

その後、だんだん光に慣れてきて、昼ごろになると驚きましたね。見えるどころではありません。世の中の色がこんなに美しいものだったのか・・・・・あわてて写真の本を開いてみました。またまた色が右眼で見るのと左眼で見るのとが違っているのです。色の彩度というのか、抜けるように白く、抜けるように青く・・。

夜、大高先生が顔を見せてくださいました。

 「ドヤ、よう見えるやろ・・・・・」

 「いや、ホント、こんなに見えるとは思わなんだ。感謝、感謝」

りくこばあさん、思わず手を合わせましたんや。

先生は、ニコッと笑って親指を立てて、「おやすみ・・・・」

なんともいえない微笑が、ハートをくすぐりました。

その後1週間、今度は左眼です。

もう右眼がこれだけ見えるのだから、左眼は見えなくなってもいいや、すっかり度胸が据わった私。

同じ順序で手術が始まりました。

楽しい音楽が聞こえます。サブは美しい兼田先生だったと思います?

眼を固定され、鯨の陸上輸送のように眼に水(薬)?をかけながらやるのだなと今度は余裕です。

 「よう見ときや、これが浪速のおばちゃんや・・・」

 「違う。浪速のいとはんや」

 「そうか、肝っ玉ばあさんや」

なんて言いながら、始まりました。前のように後輩を指導しながら、私にも声をかけて気分を和らげてくれる

Dr.大高。

やはり手術は15分足らず。眼帯をしてまな板から下りました。

 「先生、今日は握手してくれへんの・・・・」

 「オッ、よっしや、よっしゃ、いつでも度があわなんだら、入れ替えたるからな」

そんなに、簡単にいわんといて、私の目やでと、喉元で言いながら手術室を出ました。

両眼を手術して、今日で2週間チョットです。この体験記も全く裸眼で入力しています。

手元用、中間用、外出用、3つの眼鏡を持っていたのが嘘の様。携帯が鳴ってもまず眼鏡を探す必要がなくなりました。スカイメールもバッチリ。

最後に費用は入院費用も込めて6万円もあればお釣りがきました。

ここまで読み進んで下さった皆様有難うございました。

又、どうしようかなと考えていらっしゃる皆さん。恐れず、慌てず、大高先生を信じて、手術を受けてみましょうきっと、娘や息子の晴れの姿、七五三の孫の可愛さetc、etc、etc、etc、・・・一段と美しく目に映ることと思います。

本当に大高先生はじめ日赤の皆様方ありがとうございました。もう一度ここで、おおきに・・・・・・・・

2003/11/13 riku-71

それにしても、自分が話してる内容を客観的に読まされると、ずいぶん調子のいい医者ですねぇ(笑)。ま、30台半ばの若かったころの話なんですが、今でもあんまり変わっていないかもしれません。医者と患者さんの関係がどんどん不毛になっている時代だからこそ、患者さんは家族というポリシーを大切に、楽しいお付き合いをしていきたいと思っています。


白内障

私は、京都からはるばる静岡の大高医師に白内障の手術をうけに行きました。

最初は不安が、思いっきり安心に変わったのは、あれこれ考えている間もなく手術が終わったことでした。痛くもなく、血も出ず、本当かなあと思うぐらいでした。

翌日来院して、眼帯をはずされた時の様子は経験した者でないと分からない。鮮明な光の輝きが一面に広がり、何もかも見えるですもの・・・・

霞が掛かって見えにくかった右目が、はっきり見えるんです。

大高医師に言われてたように、もっと早くに手術の決断をしたら良かったと思っています。

現在細かい字の他は、めがね無しで快適に過ごしています。そうそうかんじんなことは、値札が裸眼で見えるんです。

功、本当にありがとう。 

京都府 大高万里子 64歳

これは私の実の母なんです。せっかく医者になったからには、自分の親にも自信を持って手術をできるようになりたいと思っていたので、一つの目標が達成できてうれしかったです。自分の親の手術もできないのに、大切な他人様の目は預かれませんしねぇ。

手術のきっかけはこうです。

「おかぁさん、この人間ドックの結果、右目0.1、左目1.0になってるわ。右目、1.0の間違いやろ?とんでもないミスプリやなぁ。」

「あ、私、右目ぜんぜんみえへんねん。左目だけでみてるねんえ。はははは」

「(^_^;)・・・・・・・・・」

後日談です。

5年後、左目も白内障になりました。

「功、あんたに手術してもろたほうは今でもほんまによう見えるんやけどなぁ、良かったほうがもうぜんぜんあかんねん。片目で見てるせいか、こないだ四条烏丸の交差点で自転車こけてしもたんや。若い人がたくさんで助けてくらはったんやけど、ほんま恥ずかしかったわぁ」

「・・・・・」

ということで、もう一方も手術をやったのですが、術前に病院で検眼したら、矯正視力が0.1もありませんでした。検査員の子が、自分の測り方が悪いのではないかと脂汗かいていました・・・

ちなみに、私の母親の小噺をもう一つ。

「功、前に送ってくれたビタミンC、めちゃめちゃええわぁ。ありがとう。」

「お肌でもきれいになったか?」

「いや、それはぜんぜん変わらへんのやけどなぁ、あれ、すごいおいしいねん♪」

「(^_^;)・・・・・・・・」

父の小噺を一つ

「功、お前が前に送ってくれたお薬、あれ飲んだらなぁ、なおってほしい傷だけちごてなぁ、前からあった体中の傷が全部治ってしもたわ」

「よかったやん。」

「いや、わしなぁ、あれ、強すぎる薬やと思うから、飲むのやめたわ」

「^_^;・・・・・・・・」

医者の実家でこの状態ですから、みなさん、私のところに来るのに恥ずかしいことなんか何もありません。ご安心下さい(^_^;)。



まりちょんの白内障Ope体験談♪

〜プロローグ〜

 私が大高先生と運命的な出逢いを果たしたのは、忘れもしない平成13年3月31日土曜日の事だった。
 年が明けた2月末頃から「ものもらい」に悩まされていたのだが、そんな3月20日に事件は起きた。左眼にできた「ものもらい」が膿んできてしまったのだ!それまでかかっていた眼科にとんで行き『針で突いて膿を出す』という非常に古典的な方法(ニキビもそうしますよね?)での手術を受ける羽目に・・・。麻酔なしで行われた為とても怖い思いをした。
 それから数日後、両眼とも何やら白いモヤがかかったようになっている事に気付いた私は次に病院に行った時にその事を言うと、視力検査をした後で
「白内障の疑いがあります。ココではちゃんとした検査が出来ないので、紹介状を書くので一度大きな病院で診てもらって下さい。」
と言われ、小学生の頃から日赤眼科にお世話になっていたので、日赤眼科副部長先生(大高先生の当時の上司)宛てに紹介状を書いてもらった。

〜1章 医者なんて・・・〜

 実際に日赤に行ったのは3月27日火曜日だった。診察室に入ると女の先生がいた。彼女は何の説明もなく
「採血するので、腕を出して下さい。」
と言った。私はいささかムッとしながら腕を出した。採血が済むと検査結果が出るまで時間がかかるとかで待合室で待っているように言われた。
 再び診察室に入ると女の先生は検査結果とにらめっこをしていた。が、やがて口を開き
「間違いないですね。白内障です。紹介状にも書いてありましたが・・・。そんな事より、血糖値がものすごく高いです。今内科に予約を入れたので行って下さい。」
と言われた。
 私は日に日に眼が見えなくなっていく!と必死で訴えたが、先生は血糖値に気を取られた為なのか、或いは私ごときの言う事等どうでもいいと思ったのだろうか、真剣に話を聞いてくれなかった。
 はっきり言ってムカついた。『何なのよ!そんなに血糖値とやらが大事な訳?眼が見えなくなってる事は重大じゃないの?』そう思いつつ内科の前で待っていると名前を呼ばれた。診察室に入ると、早見優を少しキツくした感じの先生に
「糖尿病です。入院して下さい。」
と言われダブルショック!ガーン!( ̄□ ̄;)!!白内障についての知識もなかったが糖尿病についても、小5の時に母親を同じ病気で亡くしているにも関わらず知識がなかった為である。因みにこの時、血糖値は400以上、HbA1cは16.7%もあった。ベッドが空き次第入院する事になってしまった。
 入院日を待つ間にも視力はどんどん低下していき、メールは見れない・送れない、TVも本もダメ、車の運転もっての他!等と日常生活に思いきり差し障りが生じていた。明らかにおかしい・・・。素人である私がその異変を敏感に嗅ぎ取っていた。
 わざわざ日赤まで行ったのに『日に日に見えなくなっていく』という私の話を真剣に聞いてくれず「血糖値が高い!」と大騒ぎをした(←私にはそういう風に見えた)眼科医に対して激しい怒りと不信感を持った。そして、そんな医師に当たってしまった不運を嘆き、呪った。
 そうしているうちに30日になり内科病棟に入院した。私のベッドは廊下側だったが窓側の人が仕切りのカーテンを閉めっぱなしにしていた為、部屋の中は薄暗く、日々視力が低下していた私は本格的に暗い人間と化していた。自分でも「私ってこんなに暗いヤツだった?」と思う程に・・・。
 翌朝検査の為に村上先生が病室に来られたのだが、既に村上先生の顔はボヤけてしか見えなくなっていた。
「先生、このあいだは先生の顔もう少しちゃんと見えたんですけど、今日はぼんやりとしか見えないです。先生の顔、わからない。」
そう告げると、村上先生は土曜日だったにも関わらずすぐに眼科外来に予約を入れてくださった。
 遅い朝食を(検査のために時間をずらされたのだ)済ませてから看護婦さんに眼科外来に行くように言われた私は
『ふん!どうせこないだの女医でしょ。それなら行くだけ時間のムダじゃん!話もちゃんと聞いてくれないし、血糖値のが大事なんでしょ!』と思いつつ眼科外来へ向かったのだが・・・。

 〜2章 運命の出逢い〜

 「秋本愛里さん、2番にお入り下さい。」
と男性の声で呼ばれ(ん?こないだとは違う先生だ!)と思いつつ診察室に入り、先生の前の椅子に座るか座らないかのうちに大高先生は
「まりちゃん、このままほっとくと、3〜4ヶ月で失明するよ!」
という言葉の爆弾を投下して下さり、私は椅子から転げ落ちる位驚いた。日に日に見えなくなっている事は自覚していたし、このままだったらいつか見えなくなってしまうだろうと薄々感じてはいたが、それを専門家に言われるとやはりショックである。
「えっ!?」
と言ったきりショックで言葉を失い、思考回路もプッツン!目の前が真っ暗になった。
 そんな私をよそにどういう状態なのか、BESTな治療法は何なのかを熱心に説明して下さる大高先生・・・。実は全く理解してなかった。ごめん、先生 m(_ _)m
 頭の中のパニックから立ち直った後思ったのは(失明だって?治らないのかな?どうしよう・・・。父になんて説明しよう?)という事だった。それを見透かしたかのように
「じゃあ、今からお父さんに電話して説明とか、手術の同意取るから!」
と当然のことのように言われ、看護婦さんから電話機を受け取り親の携帯に電話して説明をして下さった。私は先生が電話の向こうの父に話している内容を聞き理解・納得した。が、「若いのに珍しいです。」とか、「まりさんみたいに進行が早いのは1万人に1人位です。」などと言われているのを聞き(なんじゃそりゃ。私は珍しい動物か?)と思った(笑)
 私がして欲しいと思った事をアッサリやってのけ、話を真剣に受け止めてくれたこの大高先生という人なら、絶対に私の眼を治してくれる!この人に全てお任せしよう。これが神の定めた運命なんだわ!本気でそう思った。名前を呼ばれる寸前まで「行くだけムダ」とか思っていたのに・・・だ。何が一番大切か、何を優先すべきなのかを見極めるのは本当に難しい事だと思った。医師の場合、患者の命を(一生)預かるのだから責任は重大である。どんなに些細な事でも全てが生命につながっているから、医師は患者の話を真剣に聞くべきだ。とそんな事を考えている間に
「何か不明な点がありましたら、いつでもお電話下さい。電話番号は、090−××××-○○○○です。」
と電話を終わらせた先生は
「早いほうがいいから・・・。」
とつぶやくように言われ、テキパキと手術日を決めてくれた。日程は4月3日の火曜日と5日の木曜日。右眼のが進行しているという理由から左の順にする事に・・・。その際挿入する『眼内レンズ』についても説明してくれ、そのうえで
「まりちゃん、遠視用と近視用、どっちがいい?」
と聞かれた。どっちのがいいのか微妙である。しばらく悩んだが今まで遠視だったし、免許証も眼鏡必要って書いてあるし、遠視用でいいや!と安直に考え
「遠視用で・・・。」
と答えると
「遠視用な。オッケー!」
と言われ何かカルテに書き込まれた。そして、右眼手術の前日に眼科病棟に移動することまでトントン拍子に決まっていった。あまりの手際のよさにただ感心するばかりだった。
 私の場合、持病になってしまった(T_T)糖尿病の『低血糖』という症状が手術中に起きるとマズイという問題があったらしく、内科の村上先生も日ごとにインスリンの量を調節して下さった。

 〜3章 手術前日〜

 週が明けた4月2日月曜日の午後、内科病棟から眼科病棟に移動。夕方、病棟内の診察室に呼ばれて行くと、大高先生と私より少し年上らしい男の子がいた。大高先生は
「まりちゃん、まりちゃんの前に手術受ける、××君だよ。××君、××君の後に手術受けるまりちゃん。」
と簡単に紹介してくれたが、この時点で大高先生や村上先生の顔がちゃんと見えていない私に「××君」の顔が見える筈はなかった。
 それから先生は目玉のオヤジのような怪しげな(笑)模型を使って診察室でしてくれたような説明をもう一度わかりやすく噛み砕いて説明して下さり、この先生に任せておけば、絶対に大丈夫だ!と直感的に思った。そしてその直感は見事に当たるのだが、それはまだ先のお話・・・。
 大高先生による手術講習会(?)済んで部屋に戻ると、看護婦さんが『入院治療計画書』なるものを持って来て手術室に入るまでの説明をしてくれた。「小さくて細い字は見づらい。」と言ってあった為、A3版にまで拡大コピーされ、太マジックで記入されたそのプリントは今見ると(こんなに大きい字でもやっとボヤけて見えたんだよね)としみじみ思う物だ。(←ここに入院治療計画書の画像付けてね♪)

 〜4章 右眼OPE〜

 手術当日。朝から極度の緊張気味。気を紛らわせるため、大好きな少年隊のアルバムを聴いていた。
 8:30から1時間おきに目薬(抗炎症剤と瞳孔を拡大させる)が始まり、10:30の3回目から点滴も始まり、10:30以降は10分おきに2回合計で5回の目薬を注し、2本目の点滴を受けながら大高先生の待つ手術室へ向かった。
 手術室へ連れて行かれた私が最初に出会ったのは残念なことに(?)大高先生ではなく、青い手術着を着た看護婦さんであった。彼女に
「大高先生がお待ちかねだよ。」
と語尾にハートマーク付きで言われ少し緊張がほぐれた。ストレッチャ-に寝かされて手術室に入った私に大高先生も
「おっ!まりちゃん。待ってたで。」
とやはりハートマーク付きで言われた。
「まりちゃん、始めるで〜!」
という大高先生の一声で手術は始まった。
 一瞬逃げ出したいような気持ちになったが、ここまで来たらもう引き返せない・・・。というより、引き返したら確実に失明してしまう(笑)
 手術中に低血糖が起きないよう心の中で神に祈った。
「まりちゃん、消毒するで〜。痛かったら言ってな。」
先生の声でホッとしたのも束の間、めっちゃしみる(>_<)どうやら麻酔が効いていなかったらしい。痛みのあまり涙をボロボロ流しながら、
「先生〜痛いんですけど・・・(>_<)」
と訴えると
「ごめんな〜。」
と助手の人にだろうか、麻酔の量を増やすよう指示された。少ししたら痛くなくなった!それを見計らったかのように、
「どや、まりちゃん。まだ痛いか?」
と気遣いつつ、痛みのあまり流した涙を拭いて下さる大高先生の優しい心遣いにジーンときて泣きそうな位嬉しくなった。
「もう大丈夫、痛くないです。」
そんなやり取りの間もテキパキと手を動かしている大高先生。患者への気配りを忘れず、手術の準備も同時にこなしていくその手際のよさに感心した。私がそんなことをボケーっと考えているうちに右眼は器具で固定され、眼が閉じられないようにされていた。そして右眼以外の顔の部分は布で覆われた。
「まりちゃん、光ってるとこ見といて。」
と言われ、上を見上げるとボヤ〜っとキレイな色が見えた。(あっこの色すごくキレイだぁ〜★こういう色好きかも・・・。)などと思っていると
「おー、そこそこ!そのまま見ててな。」
と指示され、これでもか!という位真剣にそこを見た。あんなに真剣に物を見たのはあの時が初めてだろう(笑)その後も時折、
「まりちゃん、もう少し右見て」とか「左見て」という指示があり、その都度言われたところを見ると、
「そこそこ。ええ患者さんや。」
とか
「えらい、えらい。」
などと言われ(えらいって言うけど、私が言う事聞かないと、困るのは先生じゃん。私は何も困らんけん・・・。)と内心思っていた。
 器具のガチャガチャした音が聞こえてるなと思っているうちに手術は終わった・・・らしい。時間にして30分位だろうか。
 右眼に眼帯をつけられ、手術台からストレッチャ-に移った・・・と大高先生がそばに来て、何だろう?と思っている私の手に触れた。ん???と思ったが私も先生の手を握ってみた。大高先生の手はとても温かかった。口には出されなかったけれど、先生の手は言っていた。
「まりちゃん、終わったよ。お疲れさん!」
と。先生の私をねぎらう気持ちがギュッと詰まっていた。
 私の手はちゃんと
「先生こそ、お疲れ様です。ありがとうございます。」
と言っていただろうか・・・?
 病室に戻るとテーブルの上に昼ご飯が置いてあり、えっ!?今手術終わって帰ってきたばっかなのに、ご飯食べていいの?とビックリした。子供の頃、中耳炎の手術をした時は一日絶食だったからだ。
 いつもより遅い昼食が済んだ後も右眼に眼帯、左眼はよく見えないという状態で一体何が出来ようか?口惜しい事に何も出来ない。院内を歩き回る位なら出来そうだが、迂闊に歩き回って人様にぶつかったり、転んで怪我をしたら単なるバカ。結局ベッドに座って福山雅治を聴きながら午後の時間を過ごしていた4時頃だろうか。(そろそろ、福山さんも聴き飽きたなぁ・・・。)と思い始めた頃、青いYシャツにクリーム色っぽいネクタイを締めて白衣を羽織った大高先生が超カッコよく登場(*^_^*)
「まりちゃん、調子はどうや?痛くないか?!」
な、な、なんと、手術後のお見舞いである。手術後に患者のご機嫌伺いに来られた先生など今までにいただろうか?いや、いない。腰を抜かしそうな位驚いた。ベッドに座っていなければ確実に腰を抜かして立てなくなっていただろう。・・・と同時に感動し、大高功という医師のことが大好きになった。
「痛くないです。大丈夫、大丈夫。」
「痛かったら看護婦さんに言えよ!」
とニコニコ笑いながら(見えてなかったけど、声の感じでそう思った。)先生は言われた。
 見えていない時でもその人の印象はわかるもんだな、と感心した。大高先生の声はとても優しく、まるで母親のように全てを包み込むような慈しみに満ちていた。(この先生、本当にいい先生だわ・・・★)
 大高先生が仕事に戻られた後(やけにめかし込んでたから、夜デートなのかな?)等と野暮な事を考えていたせいだろうか、単に麻酔が切れただけなのだろうか、頭が痛くなり看護婦さんから痛み止めをもらった。

 〜5章 眼帯を外して・・・〜

 翌朝、朝食後に放送で呼ばれて診察室に行くき廊下で待っている時に看護婦さんが眼帯を外してくれた。そこで私が見たものは、視界が紫色がかったピンク色をした廊下の風景だった。一瞬、目を疑った。(なんで、変な色がついてるの?ま、まさか、先生あれだけ俺に任しとけ!って言ったのに、失敗したんじゃないでしょうね?)などと、大高先生が耳にされたら、失敬な!と怒られてしまいそうな事を思いつつ診察室に入った私を診てくれたのは堀先生。眼科の紅一点、美人さんだった。
「傷口はキレイなので大丈夫ですヨ。」
という言葉をちょうだいして部屋に戻った私は『ギッター』という器具を眼の保護の為に着け(ここにギッタ-の画像つけてね♪)ゴロンとベッドに寝転がった。
 しばらくぼんやり過ごしていると血圧を測りに看護婦さんが来た。
「あのー、なんか視界がピンク色っぽいんですけど・・・。」
 すると看護婦さんは
「人によって違うみたいだけど、最初は青く見えたり、緑に見えたり、まりちゃんみたいにピンクに見えたりするみたいだよ。」
と教えてくれた。(何で手術前とか眼帯外す前に言ってくんないかな?なーんだ、成功してるんじゃん。)前半はともかく、後半はかなり失礼である(苦笑)
 半日程経つとすっかり元のように見えるようになっていた。ほぼ2週間、日に日に見えなくなっていく恐怖と戦っていた私は天にも昇る程嬉しくなった。そんなhappyモードで一日を過ごしていた夕方、友達から送られて来ていたIメールを読んで返事を送っているところに更に嬉しいことが起きた。大高先生が前日と同じように颯爽と登場されたのである(*^_^*)慌てて携帯をテーブルに置く私・・・。言う間でもないが、病院は携帯禁止である。当然、ヤバイ。怒られる!と思ったのだが、先生は見て見ぬ振りをしてくれたのだろうか、本当に見ていなかったのだろうか、何の注意もなしに
「どや、まりちゃん。よく見えるだろ?!」
と満面の笑みをたたえて得意げに言われた。
「はい、よく見えます(^O^)」
思わず先生に抱きついてkissの雨を降らせたい衝動にかられた。(やんなかったけど。)同時に本来の自分を取り戻した。

 〜6章 左眼OPE〜

 明けて5日。再び手術。今度は左眼である。予定時間はこの日ラストの17:30。時間を持て余し気味だった私は「面倒くさいからヤダ!」と言う妹に頼んで図書館でKinkiKidsのアルバムを借りて来てもらい、それを聴きながら時間を潰した。
 15:30から目薬が始まり、2本目の点滴をしながら手術室へ向かったのは予定よりも1時間遅れた18:30だった。
 2日前に1度経験しているからだろうか。いや、違う。先生を信頼していたから・・・だ。今度は初めからかなりRelaxしていた。2日前と同じように、大高先生の
「まりちゃん、始めるで!」
という声で手術は始まった。(冷たっ!なんか水かけられた!)なんて状況判断出来るこの余裕。現金なもんです(笑)2日前は痛かった消毒も今度は大丈夫!と思いきや、またしてもしみた(>_<)
「先生、痛いです(>_<)」
と涙を流しながら訴えると先生は
「ごめんな〜。」
と言って前回と同じように目元の涙を拭きつつ、麻酔の量を増やすように指示してくださった。
 そんな調子で消毒が痛かった他は何事もなくあれよあれよという間に手術が終わった後、大高先生は
「近くのがよかったらいつでも言ってな。オレが変えてやるよ!」
とアッサリ言われたのだった。(そんな簡単に言わないでよ。)と思った私の耳にそれまで手術室内で流れていた曲が突然聴こえてきた。
 「恋人には 戻らない 僕は僕のものになって〜♪」
奇しくも右眼手術後に部屋で聴いていた福山雅治のIT'S ONLY LOVEだった。私が好きな1曲である。
「あっ!福山さんだっ!!」
場所と自分の立場を忘れ思わず叫ぶと何事かと思ったであろう大高先生がすかさず、
「なに、まりちゃん。福山好きなん?」
とツッ込んでくれた。
「うん、大好き(^O^)」
「じゃあコレ、終わりまで聴いてくか?」
「聴いてく、聴いてく!聴いてってもいいの?」
とタメ口叩く始末。
 これには流石の大高先生もあきれたように苦笑された。・・・因みにその場にいた他の先生や看護婦さんも笑っていたようだ。(ん?何か変なこと言ったかな?)と思いつつ、結局最後までIT'S ONLY LOVEを聴いて手術室を出てから(ああ、そうか。手術終わったばかりの人間が、福山大好き!と豪語して1曲最後まで聴いてけば先生もあきれるわね。)と思った。今までこんな患者はいなかったんだろう(^_^;
 部屋に戻ると夕食の時間はとっくに過ぎており、使い捨てのお弁当箱に詰め替えられたすっかり冷めきった夕食を食べている所へ手術着の上に白衣を羽織った大高先生が
「まりちゃん、調子はどうや?痛くないか?」
と颯爽とご登場(*^_^*)不意をつかれて、ご飯をのどに詰まらせそうになってしまった。きちんとご飯を飲み込んでから
「はい、大丈夫です。」
と答えた。まだ麻酔が効いてるから当たり前?とも思ったが。
 この時、父と下の妹がいたのだが(私は三人姉妹の長女で、妹達も大高先生の患者。三人揃ってお世話になっていた。・・・恐ろしい偶然である。)先生は父にも爽やかに挨拶され、来た時と同じように颯爽と帰っていかれた。
 一日、外来と手術とで相当お疲れになっている筈・・・。そう思うと、先生の患者を想う気持ちの強さとその心遣いはすごい!と感心せずにはいられなかった。そして感謝の気持ちでいっぱいになった。
 先生が帰って行かれた後
父・「おい、あの先生、こないだ(3日)も来てくれたのか?」
私・「うん。昨日も一昨日も来てくれたよ。」
父・「いい先生だな。おまえよかったな。」
先生の患者を想う気持ちは患者だけでなく、家族をも感動させている。

 〜7章 眼帯を外して・Again〜

 翌朝、朝食後放送で呼ばれ診察室に行くと私の番になって機械が壊れるというハプニング。この日の診察は私の(笑)大高先生だったのだが、
「あかん!いかれた!」
私は自分の眼の事を言われたのかと思い、ギョッとした。・・・と続けて、
「まりちゃんコレ、(機械)ダメんなった。悪いけど、下(外来)に来て。」
(なんだ、機械か・・・。ビックリしたー)と思いつつも
「はーい。わかりました♪」
とよい子の返事をして階段で外来まで降りて行った。
「秋本愛里さん、2番にお入り下さい。」
と呼ばれ診察室に入り、初めて両眼でちゃんと見ることが出来た大高先生の顔は第一印象(声だった。)通りの笑顔が素敵で優しそうな雰囲気の渡部篤郎に似た感じの方だった。(余談だが、渡部篤郎がTVに映っているのを見て、あれ?!大高先生?と思った事がある。)
「今日初めて先生の顔が両眼で見る事出来て、すっごく嬉しいです。先生、男前で・・・(*^_^*)」
と言うと、大高先生は
「ありがとう!まりちゃんも可愛いよ。こんなことなら今朝、ちゃんとヒゲ剃ってくりゃ良かった・・・(T_T)」
と言われ、私はどう反応したもんかな?と困ってしまったが、そばで私達二人の会話を聞いていた看護婦さんは笑いのツボにハマッたのか、大爆笑していた。
 ともあれ手術が大成功した大高先生もご機嫌、先生に
「よっしゃ〜まりちゃん。ばっちりや!」
と太鼓判を押してもらった私も超ご機嫌。これで一日happyモードである。ただし、『ギッタ-』をつけなきゃならないという憂鬱感を除けば・・・の話だが。
 眼科には1週間ホームステイ(?)したのだが、手術後は毎日夕食後に大高先生が顔を出して下さり、時には少し話をして行ってくれたり・・・と本当に毎日がhappyだった。不謹慎な話だが、先生が病室に来てくれるのを毎日楽しみにしていた。

 〜8章 その後〜

 無事に内科病棟に戻った私は村上先生や看護婦さんに「明るくなったね!」とか「仮面ライダーみたい」と言われ、妹には「ウルトラマン」とからかわれ、見舞いに来た友人には「昆虫みたい」などと好き放題に言われまくった。(ここに仮面ライダーの画像付けてね♪)二十歳のいたいけな乙女がするにはかなり抵抗ありますよね?コレ。
 このオペ体験から早3年。ずっと大高先生にお世話になっていた。3年前にはこんなに長く患者としてお付き合いすることになろうとは思いもよらなかった。
 予約日にお会いする度に大高先生の患者に対する姿勢には脱帽する。こんなに自分のことのように親身になってくれる医師は他にはいないんじゃないか・・・?いつもそう思う。そして、あれ以来診察ごとに必ず聞く
「よっしゃー、まりちゃん。ばっちりや!」
という大高先生の名セリフは私を安心させるのだ。他の方もそうだと思うが・・・。
 退院してホームページを拝見し、先生の医師としての心掛けに感動し、メールしたのがきっかけでメールの交換をするようになり、眼のトラブルの時は必ず相談している。相談するのは眼のトラブルに限らず悩み事だったり、恋愛相談だったりもするが・・・。先生はそんな私の下らないメールにも真剣に解答をくれる。本当に落ち込んでいる時はありがたくて、涙が出そうになる。と同時に、先生の奥さんになる人は絶対に大事にしてもらえるんだろうな・・・。いいな、羨ましいな。と思うのだ。お付き合いするなら、先生みたいな男性がいいなと思う。そういう人にめぐり逢えるかな?もう、先生と出逢ったことで運は使い果たしてしまったかなぁ?
 眼のトラブルについては、大高先生に任せておけば絶対に大丈夫だと身を持って知っているからである。
 そして、こんなにいい腕で患者想いの先生を独占してはいけない!と思うので(本当は独占したいけど。)友人や知人に
「私がかかってる大高先生ってすっごく患者想いでいい先生だから、眼のトラブルあったら、大高先生に診てもらうといいよ!」
と宣伝している。先日も職場で「眼科の先生とメールやってるよ」と言ったら、「えっ?!眼科の先生?」と驚かれてしまい、そんなに珍しい事なのか?と私は驚いたのだが、普通は医者とメールしないのか・・・。うーん。友達が医者だから、珍しくないんだよな。なんて思ったりもした。
 大高先生には年賀状等で「私の眼をよろしくね!」と書き添えることを忘れない。先生も必ず「まりちゃんの眼は僕に任しとき!一生面倒みるよ。」とメールを下さる。先生に絶対の信頼を寄せている私は大高功という医師以外の眼科医に自分の眼を託す事など、もう出来ない。横浜だろうが北海道だろうが、どこまでも先生についていくわ!という勢いである。
 最近、大高功という人は実は魔法使いなんじゃないか?と疑っている。
「まりちゃん、ハリー・ポッターの読み過ぎ!」
と一笑されてしまいそうで、先生には口が滑っても言えなかったけど。(しまった。今言っちゃった。)でも、大高先生にそう思わずにはいられない何かがあるのだ。診察室内の空気や雰囲気が他の先生とは明らかに違うのだ。そこだけ時間がゆったり流れているというか、和やかになりホッとする。先生の診察を受けた事がある方なら、わかっていただけますよね?!あの感じ。

 〜エピローグ〜

 白内障の手術を考えられている方へ・・・。大高先生は私達患者の立場で考え『自分がして欲しい』と思う一番BESTな治療法を選んで下さる方です。ですから、安心して全てを大高先生にお任せして手術を受けて下さい。絶対に後悔しませんから!私が保証します!
 大高先生へ・・・。本当にありがとう!!先生のような名医と出逢うことが出来て私は本当にラッキーで幸せだと思っているよ。あの日先生に逢えずにいたら、私は今頃失明していたでしょう。先生は私の救世主です。
 横浜で『日本一の眼科医を目指す』と言われましたね。『日本一』と言わず『世界一』を目指して頑張ってください。・・・私は先生こそが世界一の眼科医だと思っているけど。
 私も自分の夢を叶えられるよう努力します。横浜の病院にも遊びに(?)行きますね。その時はよろしく(^O^)先生の健康と、これからの活躍を祈っています。

  愛里・24years old

まりちゃん、濃いわ。濃い。ありがとう。

後日談

Subject: 相鉄ビル眼科、サイコ〜!
Date: Fri, 18 Jun 2004 18:12:35 +0900 (JST)
From:
To: otaka@isao.com

お疲れ様です★先生、今日はありがとね。やっぱり私の大高先生は最高だわ(*^_^*)先生の「よっしゃ〜まりちゃん、ばっちりや!」を聞く為に静岡から出てきた甲斐あったと思うもん!次は多分、迷わずに行けると思うよ。日赤やめて横浜まで通おうかな?恵美さんにも勧めとくからねっ!
それはさておき、待合室に貼ってあった先生達の紹介、手書きのがいいんじゃないかな。パソコンの文字は確かに見やすいけど、温かさがないような気がするんだ。私の個人的な意見だけどね(^O^STAFFの皆さんの応対と感じの良さもばっちりだね!初めて行ったのに、何度も行った事あるようなアットホームさがGOOD! 日赤とは違って待ち時間が短いのも、嬉しいね。忙しい人も安心して来れるね。いい事だわ。明日は休み?ゆっくり休んでね。私の目を可愛がってくれるのはとっても嬉しいけど、先生も自分の目を可愛がってあげてね。
愛里

わははは、まりちゃん、やっぱり濃いわ。濃い。でも、ありがとう。



mail: otaka@isao.com

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